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アジアとの連携を果たしたビジネスマン達
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The businessmen who achieved cooperation with Asia
/アジアとの連携を果たしたビジネスマン達

e - s i l k r o a d
vol.2
まず現場に行き、自分の目で見て、行動を起こすこと。(2005年1月掲載)
株式会社エーアイエー  百富孝行社長
福岡にある株式会社エーアイエーは、設立二年目の新しい会社だが、その代表取締役、百富(ひゃくとみ)孝行氏は、中国からの輸入ビジネスで非常に大きな成果を担った人間として広く知られている。

百富氏は、大学卒業後、東京の大手旅行代理店で15年間世界中を歩き、その後10年かけて資金を集め、1987年、貿易会社「太行(たこう)」を設立。資本も経験もないまま、中国からのすっぽんの輸入や、カナダ産のブロイラー鳥を中国で飼育させて日本に輸入するという事業を中心にビジネスを推進したが、「自分に生き物のビジネスは合わない」と判断。商材を農産物にシフトすることにした。

「大資本と互角に戦える」「季節感を伴う」「知恵と努力で成長できる」という視点で彼が選んだのがタケノコだった。春の食味であるタケノコを秋にもということで地球の裏側の収穫に期待、旅行添乗員時代のブラジルの友人を通じて検証。しかし、日本のタケノコと品質が全然違うためにこのアイデアは失敗に終わった。

そこで、「やはり竹ならアジア」ということで、中国総領事館を訪れ、中国のタケノコ輸入について交渉。外貨獲得の意識が強かった当時の中国から、中国の浙江省、福建省の二ヶ所の国営貿易会社を紹介された。

商談は困難を極めた。まず言葉の問題。通訳の日本語レベルは稚拙で「オマエ、ナニシニキタカ?」「タケノコを買いに来た。」「タケノコイルカ?」「要る。」「イクライルカ?」というようなやり取りを延々続ける。一日の打合せは30分。なにか要望や依頼をしても「明日まで検討しておく。」「明日まで調べておく。」ということで、まったく融通の利かない超スローな展開を余儀なくされた。当時の交渉相手は役人であり、自分の仕事が増えてしまった不満でいっぱいだったのである。

契約書レベルでは、まず英文で共通の文書を作成した後に、それぞれ中国語と日本語に訳するという作業を行うのだが、それでも多くのトラブルが発生。裁判になってしまうと時間だけがかかって、結局、負けるので起すだけ無駄である。

品質管理も大きな苦労があった。タケノコは中国から根がついたまま日本に送られてくる。日本側で根を落とし洗浄するのだが、サイズを揃えるという作業が必要だった。タケノコのサイズが違えば料理用のゆで時間が変わり、味に決定的な影響が出てしまうからだ。中国産タケノコには、長いのも丸いのもあったが、一定の大きさの箱に、全部揃えて詰めていかなくてはならない。誤差はプラスマイナス5%までだった。

こうして中国産タケノコ輸入ビジネスのパイオニアとなった百富氏は、この商材を青果市場に持ち込み、バイヤー数百人を相手にセリが行なわれた。ただし評価は「日本ではタケノコは一年中食するという習慣にはならない」というものだった。

そのうちに、中国からタケノコの水煮缶詰の輸入がはじまったり、国内の生産業者も水煮の缶詰を販売しはじめたことで、日本でもだんだんと年中、タケノコを食べるという習慣が一般的になってきた。百富氏のタケノコ輸入事業も次第に軌道に乗っていったところで、百富氏は次の商材を探し「シイタケ」に目をつけた。1989年頃のことである。

タケノコと同様に、中国産のシイタケの輸入ビジネスを開始。日本で初めて中国産シイタケ輸入ビジネスを行なったのは百富氏であることは間違いない。1995年当時、日本のシイタケの市場は9万トンで百富氏の会社は中国からの全輸入量15000トンのうち6500トンと、輸入業者の中で実績は断トツでナンバーワンになっていた。この当時、百富氏が中国とのビジネスでいかに超VIP扱いされていたかを物語るエピソードがある。

中国のシイタケ生産地では延べ50万から100万人が百富氏のシイタケの生産に携わり、村によっては収入の50%以上が彼のビジネスに依存され病院や学校が建設された。ある時、百富氏が中国のシイタケの生産地を訪問した際、村は祝日扱いで、ひとつの村で3万人が歓迎をするという事態が起こった。百富氏には超VIP待遇の24時間警備が付き、当時の中国人関係者から「来訪中の日本の首相よりも待遇が上」とさえ言わしめた。

しかし順風満帆かのように見えたビジネスに思わぬ落とし穴が待っていた。

もともとシイタケというのは、日本では木で作られるものだが、中国ではオガクズで作られている。当時、中国国内に5つの関連会社と米国にまで支店を広げ年商100億を超えていた百富氏は、日本と同じ品質のシイタケを作るために、中国で木で作るシイタケを夢見たのである。だが、このプロジェクトは、さまざまな要因で失敗し、百富氏は結果的に22億の負債を抱え会社を倒産させてしまった。1999年のことである。

百富氏は、事業を息子の手にゆだね、自分は会社倒産の責任を取って水面下に深く潜行した。影で子息の事業をアドバイスしながら5年を経過した2003年、再び、自ら福岡にエーアイエーという会社を起し、自分の本当にやりたいビジネスを再建中である。

今度の事業の商材は「大葉(青じそ)」。現在、日本国内の大葉の需要は80億枚、中国からの輸入は6億枚、その50%である3億枚を百富氏のエーアイエーが取り扱っている。設立2年目で百富氏がこれだけのビジネスを成し遂げたのは、やはり20年に渡って中国との間で築いた多数の有力な人脈とノウハウの存在があったからにほかならない。

百富氏は、中国とビジネスをするときのポイントを次のように話す。

「中国人は日本人に悪いイメージを持っていると言われるが、それは社会的地位の低いレベルでの話であり、企業のトップや知的レベルの高い層の間では、ビジネスについては、常に冷静で合理的に推進することが基本とされています。中国人は自分達の利益になるものに関してはしっかりとした仕事をします。ただ全般的にプライドが高いので、その点にきちんと留意すれば中国とのビジネスをうまく推進することは可能なのです。」

ビジネスを進める上での関係性としては、3つのパターンがあると言う。

「まず、完全に人と人との信頼関係ができており、契約書などがなくてもその人間を信用して、人の信頼面を優先して仕事をするというケース。ただ、これはごく稀なケースです。次に契約書(文書)を作成してから、共有できないニュアンスが多く苦労するケース。これが半分くらいあるでしょう。そして、最後に、契約書を作成してもそれは最初から無いも同然で、ただ利益だけ求められるような関係。これも現実にはまだ半数くらいあります。」

最後に、北海道から中国に進出してビジネスしたいという企業に対してのメッセージを聞いた。

「中国とビジネスをしたいのなら、なによりも現地に行き、その現場を見ること。上海や北京に1週間でも2週間でも滞在して、自分達が誰とどうビジネスするかというアイデアを出す。実際に、ビジネスを既に行なっている人間達を現地で捕まえて話を聞く。最近ではそういうイベントもたくさんあります。そういう機会を活かしながらターゲットを絞り行動力を示していくこと。
特にIT分野に関しては、中国でも、今後飛躍的な発展を遂げる分野なのでチャンスはまだまだあるはず。北海道だからという距離感に囚われずどんどん積極的にアプローチしていくべきでしょう。ご希望があればお手伝いさせてもらいますよ。」